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寄進する心

托鉢ってありますよね。
ら仏教やジャイナ教を含む古代インド宗教の出家者の修行形態の1つで、信者の家々を巡り、生活に必要な最低限の食糧などを乞う(門付け)や街を歩く(連行)又は街の辻に立つ(辻立ち)等により、信者に功徳を積ませる修行とあります。
ここで重要なのが、貰うお坊さんの為ではなく、与える人の為の修行だということです。慈悲心を湧き出させるための修行ということなのでしょうか。
長者の 万灯より貧者(ひんじゃ)の一灯という言葉もあるように、たとえわずかでも、貧しい人の真心のこもった寄進は、金持の寄進よりも優っているのだそうです。
先ずは、自分のために、進んで寄進しませんか?

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コメント: 1
  • #1

    kanda (月曜日, 01 7月 2019 05:39)

    昔から「情けは人の為ならず」とも言いますね。
    「ペイ・フォワード」という素敵な映画があります。誰か困っている人を手伝ったり手助けすると、受けた人はまた別の人を助けて、そうやって少しずつ善意が伝わって、やがて世界中の人が平和に幸せになれる・・・・そんなことを夢見る男の子の話です。
    周りの大人は最初はそんなのは夢物語だ、現実はそんなに甘くないというのですが、男の子の努力が少しずつ現実になって、最後は彼自身や家族を救うことになる。
    誰かのためにしたことが回り回って自分自身の徳になるというのは、万国共通の考え方かも知れませんね。